毘沙門天の部下である 散脂(さんし)大将(パーンチカ)の妻(カリテイモ[鬼女])は、王舎城の夜叉神の可愛い娘として生を受けました。
美しい女性へと成長したカリテイモは千人とも云われる程子どもに恵まれました。
そんなカリテイモでしたが、過去世の因縁で、王舎城の人々への恨みを抱いており、その遺恨が勃発し、人の子どもを拉致しては食し、人間たちから恐れ憎まれるようになりました。
人間たちはお釈迦様に相談しました。お釈迦様はカリテイモの心を救って過ちを気付かせようとして一番可愛がっていた末子のピンガラを隠してしまいました。
その時のカリテイモの嘆き悲しみ様は計り知れませんでした。
お釈迦様は※「千人の子どものうち一子を失うもかくのごとし。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒められました。
※「千人の子どものうち一人でもいなくなってしまうとこんなに悲しいものである。その一人でも(食べるために)いなくなってしまったら、子どもの両親はどれだけ悲しむであろうか?」
カリテイモは「本当に悪かった、これからは他人の子どもでも自分の子どものように可愛がります」と、心から反省し悔い改めることを誓い、人間たちの苦悩の深さを悟ることができました。
ここから日本で語られるようになった話
→お釈迦様は「もしまた子どもが食べたくなったら、これを食べるがよい」と血の色と人間の肉の味が同じザクロ(柘榴)の実を渡したのだった。←
インドの仏典が中国に渡り漢訳されたときに、鬼子母神が手に持つ「吉祥果(きちじょうか)」の正体がわからずザクロ(柘榴)が代用されました。ザクロの果実はその中に小さい赤い実の中に一つの種を持つ集合体であり、古来より「子宝と豊穣」の象徴とされてたので、鬼子母神が手に持つ物体を「ザクロ」として疑いもなく受け入れられたのです。
千人の子どもに恵まれた鬼子母神の話と漢訳された子宝と豊穣の象徴であるザクロが重なり、さらに日本で作られた逸話がうまい具合に調和したと言っていいでしょう。そして鬼子母神は右手にザクロの枝を持ち、子どもを抱え、鬼子母神を祀るお寺では必ずザクロが植えられています。